小机城のデータ
| 城郭別名 | なし |
| 曲輪構成 | 連郭式 |
| 縄張形態 | 平山城 |
| 標高(比高) | 標高42m / 比高22m |
| 築城主 | 関東管領上杉氏? |
| 築城開始 | 永享の乱(1438~1439年)あたり? |
| 廃城年 | 1578年?、1590年? |
| 改修者 | 長尾氏・後北条氏 |
| 城主 | 上杉氏・長尾氏・笠原氏・後北条氏 |
| 遺構 | 空堀・土塁・土橋・堀切・櫓台・帯曲輪 |
| 文化財区分 | なし |
小机城の遺構

城の南側にあるJR横浜線の上は、出城や櫓台のようです。

小机城(外観)東側

小机城址市民の森への入口は、南東側の住宅街からになる。

真南の入口に入る目印。
かわいいイラストが案内してくれる。

真南の入口。

真南の入口から竹林だらけ。

足元は、スロープもあり整備されている。

傾斜の急な斜面。

関東の土の城は、足元が崩れやすい。傾斜もあると武装した攻め手はツラい。

少し平たんな場所があると、何かあったのだろうかと思ってしまうね。

道の横を板で抑えているのも崩れやすい証拠。

南側の大規模な空堀。

中央に土橋のようなものがある。

本丸?とされている曲輪の南側の土橋の南にある場所。

少し盛られている場所。

堀切?

堀切ですかね?

土橋らしき場所の上から南側の空堀を望む。

断定されていないが本丸かと言われている曲輪の入口。

掲示には、本丸が断定されていない記述がされている。

本丸?にある小机城と書かれた石。

本丸?と二の丸?の間にある曲輪にある掲示板その1

本丸?と二の丸?の間にある曲輪にある掲示板その2

土橋です。
二の丸?とされる曲輪方向を向いています。

土橋の南側空堀。

土橋の北側空堀。

土橋の傍には、小机城の空堀が大規模なことを説明されている。

矢倉跡の反対側。

矢倉跡。

二の丸?近辺の櫓台近辺から北側の空堀を望む。

二の丸?近辺の櫓台近辺から北側の空堀を望む(その2)。

二の丸?近辺にある櫓台。

二の丸?近辺にある櫓台の上。

二の丸?とされる東の曲輪。
とても広い。
こちら側が本丸とする説もある。

二の丸?とされる東の曲輪。
本丸?とされる西の曲輪と同じぐらい広い。

二の丸?とされる東の曲輪。
発掘調査が望まれる。

二の丸?の東側にもルートがある。

二の丸?の東側から下を見る。

二の丸?の東側のルートを行くとその先には、防空壕の跡がある。崩れやすい土質なので、入らないこと。

防空壕の傍から小机城の東の斜面を望む。

二の丸?とされる曲輪の北側部分。

二の丸?とされる曲輪の北側部分(その2)。

二の丸?とされる東の曲輪の北側。小机城の北東部分の土塁。

二の丸?とされる東の曲輪の北側。小机城の北東部分の土塁(その2)。

小机城の空堀(北東部分)。
さらに外側に、曲輪や土塁がある。

画像右側は二の丸の斜面。
傾斜がキツいことが分かる。

右側は小机城の北側にあたる。
右側の大規模な土塁?曲輪?は、空堀の底からは5m以上になる。

小机城の北西部から南方向を望む。
画像左側は、二の丸と、二の丸付近の櫓台になる。
攻め手が空堀内部を逃げても側面攻撃を受ける。

左の道へ行けば、二の丸方向。
右の道へ行けば、本丸方向。

本丸方向を眺めると、こうなる。

二の丸方向を眺めると、こうなる。

小机城北側の空堀の南西の端から、北方向を望む。

東の本丸とされる曲輪の北側にある小さな空堀のような場所。

東の本丸とされる曲輪の北側にある小さな空堀のような場所(その2)。

本丸とされる西の曲輪から出城方向へ向かう。

一度、住宅街を出て、すぐ右折しトンネルを抜け道なりに行くと階段がある。
この上が富士山が見えたとされる場所と、出城の方向になる。

看板があることで小机城の城内であることが分かる。
お城ファンでなければ、来ないだろう。

出城の東側斜面となる。

この上が、富士山が眺められたとされる場所らしいが櫓台のようにも見える。

富士山が見えるという石碑。
木々や藪で見えない。

スペースの感覚からして、櫓台のようにも見える。

近隣住人たちの駐車場。
ここは、出城だった場所ではなかろうか。

矢竹のようなものも植わっている。
やはり出城の雰囲気がする。

南側の空堀の内部を見る。
最初の入口を左に曲がると本丸方向だが、右に曲がると南側の空堀の底に入れる。

南側の空堀と曲輪の高低差もなかなか圧迫感がある。
攻め手が迷い込んでくれれば、守備側は守りやすい。

南側の空堀から本丸と二の丸の間にあるつなぎの曲輪に出られる道がある。

小机城の南東側にある帯曲輪。
帯曲輪もなかなか広い。
竹林となっており、すっきりしている。
小机城の歴史
小机城は、永享の乱(1438~1439年)の頃、関東管領の上杉氏によって築城とされています。
山内上杉氏の家宰を相続することが出来なかった長尾景春が乱を起こします。
長尾景春に味方した豊嶋氏が小机城に立てこもるものの、太田道灌は鶴見川を挟んで対岸にある亀の甲山に布陣をし、2カ月間の包囲戦の末、小机城は落城。
その後、廃城となっていたものの、北条氏綱によって小机城は修復される。
城代として笠原信為が入り、その後は北条氏堯、氏政の弟三郎、北条氏光が入る。
徳川家康の関東入府によって廃城。
小机城までのアクセス
電車で行く場合
JR横浜線「小机駅」から徒歩15分
車で行く場合
小机城用の駐車場はありません。
金剛寺近くにコインパーキングがあります。
こちらをご利用下さい。

