浦賀城のデータ
| 城郭別名 | なし |
| 曲輪構成 | |
| 縄張形態 | 平山城(海城) |
| 標高(比高) | 標高55m / 比高50m |
| 築城主 | 北条氏康 |
| 築城開始 | 16世紀後期 |
| 廃城年 | 1577年?、1590年? |
| 改修者 | |
| 城主 | |
| 遺構 | 曲輪、横堀(空堀)、土塁、堀切 |
| 文化財区分 | なし |
浦賀城の遺構

浦賀城の麓には、叶神社がある。
東叶神社と西叶神社がある。
画像は通称「東叶神社」。

北面武士出身の僧・文覚が、源氏再興のために養和元年(1181年)に創建。

お参りをした。

社殿の左奥へ階段が続く。
ここから浦賀城を登る。

勝海舟断食の碑。
咸臨丸で太平洋を横断する前に、この山の頂上で断食をした。

階段が続く。

浦賀城の階段は、223段とされる。

急な階段なので足を踏み外さないように。

この急階段は、産霊坂という。

山頂に登ると勝海舟断食の碑がある。

浦賀城山頂。


殉職者招魂塔。
浦賀の艦船ドッグで攻撃を受け戦死されたり、事故で殉職された方の鎮魂のために建てられた。

浦賀城址について。
後北条氏時代は、三浦半島の南西に三崎城がある。その出城として浦賀城が運用されていた。

幕末には、ペリーの黒船艦隊が浦賀城からよく見えた。

浦賀城は、安房里見氏に備えた城である。
すでに夕刻であり、やや曇りがかっていたが、房総半島が見えた。

主郭を南側から中央を見る。

主郭の西側から北の曲輪へ移動する。藪だらけです。

藪が足元を阻む。
虫が鬱陶しい。

獣道だろうか。
歴戦の城郭ファンが訪れたのだろうか。

そんな道もすぐに無くなる。

主郭の北側の端。
この先が空堀になっている。

画像では分かりづらいが、5m~15m程度の斜面が見られる。

井戸も確認できる。

藪の中は、方向感覚を奪うので注意。
天気の良い明るい時間帯に城を巡ることをおすすめします。

東叶神社の目の前は海です。
2~3台ほどの駐車スペースがあります。
浦賀城の歴史
北条氏康が16世紀に築城したとされる。
三浦半島は、東京湾を挟んで安房国の里見氏から脅威を受けていた。
廃城時期は、後北条氏と里見氏の同盟「房相一和」後説と、豊臣秀吉による小田原征伐後に三崎城と同時に廃城となる説の、2つの説が有力です。
幕末に入ると、ペリー艦隊の黒船来航がある。
浦賀城内でも説明がされているが、浦賀沖に来たために、浦賀城からよく見えたそうだ。
また、浦賀城城内には勝海舟断食の碑がある。
安政五年(1858年)に日本とアメリカは、日米修好通商条約を締結する。
この条約の批准書を交換するため、万延元年(1860年)に米軍艦ポーハタン号に咸臨丸が随行する。
この時の咸臨丸の艦長が勝海舟だった。
太平洋横断をすることになるが、公開前に勝海舟は、水垢離(みずごり)を行い、浦賀城の山頂で断食を行うことになる。
水垢離とは、神仏に祈願するため、冷水を浴びて体のけがれを去り、清浄にすること。
浦賀城までのアクセス
電車で行く場合
京急本線「浦賀駅」から徒歩20分
車で行く場合
麓の東叶神社の前の道路脇に、駐車スペースが2~3台あります。
| 住所 | 神奈川県横須賀市東浦賀2丁目21-25 |
| 駐車台数 | 2~3台 |
| 営業時間 | なし |
| 料金 | 無料 |

