深見城(神奈川県大和市深見字城ヶ岡)

深見城(神奈川県大和市) 神奈川県の城

深見城のデータ

城郭別名
曲輪構成
縄張形態平山城
標高(比高)73m / 14m
築城主
築城開始14世紀末頃?、1452年(享徳4年)?
廃城年16世紀?
改修者
城主・城代 山田伊賀守経光
遺構曲輪、二重堀、土塁、虎口
文化財区分未指定

深見城の遺構

国道246号の方から入りました。深見城の東側へ入る入口です。

深見城の案内板。

緩やかな盛土のようなかんじです。

「天笠坂」

天笠坂の道は、深見城の空堀です。

曲輪の上までの高さは、高いところだと7~8mぐらいです。

深見城の東側を流れる境川。北東方向を見る。

左を流れるのは境川。南方向を見る。ジョギングやサイクリング、ペットの散歩を楽しむ人が多いです。

南側の深見城。12m~15mぐらいの高さがあります。

境川の妨害と崖があるので南側は防御力が高いです。

深見城の南側。瀬谷方面(東名高速側)は現在は田畑が多いです。

コンクリート工事がされていない場所でも10m前後近く高い場所に曲輪があることが分かります。

南側は全体的に崖だったことが分かります。

深見城は、平山城ですが高低差が小さい方です。まあまあ整備もされていて歩きやすいです。初心者向きですが楽しめます。

曲輪を。

開けている場所。曲輪のようなところがあったのではないか。

曲輪と曲輪の間の空堀。

深見城の斜面。

深見城の斜面。

深見城城内。

木々も藪も整備されています。

土塁かな。

南側の崖の上から。写真では木々で見づらいですが、高さがあることが分かります。

当時から通り道だったっぽい場所。この先は住宅と田畑があります。

深見城の南側です。

深見城の南側です。

深見城の歴史

小山田氏の時代

深見城の築城は、1450年代~15世紀後半ぐらいと推定されています。
廃城は16世紀に入ってからと考えられていますが、あまり詳しいことが分っていない城です。

城主の名として山田伊賀守経光の説が出てきています。山田伊賀守経光は、もとは扇谷上杉家・上杉定正の家臣で、のちに伊勢盛時(北条早雲)の家臣となっています。
腰越城(埼玉県小川町)の城主の名に、山田伊賀守直定の名があり、1562年の長尾景虎の寄居町赤浜原の戦いで、道祖土図書助(長尾方の岩付城主の太田資正の家臣)に弓を射かけられ、討死。
直安(直定の弟)が家督を継いでいる。
山田つながり、伊賀守つながりで、山田経光は、この山田直定・直安と同族と見られています。
山田経光は、瀬谷の領主とされていますが、瀬谷は横浜市旭区で大和市と隣接しています。

深見城までのアクセス

電車で行く場合

小田急江ノ島線「鶴間駅」からバス間15「三ツ境駅北口行」に乗車し「目黒」バス停で下車し、徒歩9分。
深見城の踏破は、30分~1時間程度を目途にすると良いです。

車で行く場合

深見城周辺は、駐車場がありません。ご注意ください。

住所 神奈川県大和市
駐車台数 0台
営業時間 なし
料金 なし

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