岩殿山城(山梨県大月市賑岡町)

岩殿山城 山梨県の城

岩殿山城のデータ

城郭別名岩殿城
曲輪構成
縄張形態山城
標高(比高)634m / 250m
築城主小山田氏または武田氏
築城開始1530年代
廃城年17世紀初頭
改修者
城主小山田氏
遺構郭、堀切、虎口、井戸、土橋
文化財区分山梨県史跡

岩殿山城の遺構

岩殿山城の入口付近から撮影した山頂側です。

虎口風の門的なもの。

岩殿山についての看板。

岩殿山城の整備されてる部分です。この部分だけ歩きやすいです。

急斜面のため、整備しづらかった箇所が多い城だったのかなと思ってます。

木々で埋もれず、遠い景色が見れる場所。

整備されてる方の場所にも大きな岩がありました。

岩殿山 丸山公園

岩殿山城の中腹にある部分です。でも、ここからがまだキツイです。

館っぽい場所があります。

歴史に触れる雰囲気には作られています。

岩殿山歴史景観保存地区の看板。

丸山公園部分に、トイレがあります。この先は、たしかにトイレがありませんでした。

櫓のような作りになってます。

子供向け遊具は、こういうものがありました。

石碑ですが、読みづらいです。

丸山山頂は、444.4mになるようです。ゾロ目です。

丸山公園から見た風景。

目下に街並みが見えます。

丸山公園から山頂側を見た写真。

丸山公園から山頂側を見た写真。岩でできた崖がそびえ立っています。

丸山公園内にあった岩殿山城の地図です。

「ふれあいの館」

夕方の時間帯だったため、すでに閉まっていました。

公園付近は、まだ整備されている方です。

大きな岩が落ちそうな場所にあります。

岩殿山城の巨石です。

岩殿山城の斜面。

岩殿山城は、とにかく巨石だらけです。

整備されているけど、手すりが頼りないです。若い年齢のうちに登っておきたいと思いたくなる階段です。

岩殿山城の風景。

斜面をくねくね登って行くところのカーブ部分の先に、巨石があることが多いです。

岩殿山城の岩・崖。

岩殿山城の「揚城戸跡」

自然の巨石を使って城門としています。

揚城戸跡の看板。

岩殿山城の「番所跡」。

方向指示の標識は、整備されている方だと思います。安心して登れます。急斜面ばかりですが。

矢竹になりそうな植物とか。

「馬屋」。

馬屋とありますが、荷物の輸送用がメインでしょうか。

岩殿山の山頂付近。

石碑。誰かの詩でしょうか。

「岩殿城説明掲示板」。

岩殿城、説明掲示板。

馬場跡付近。

「馬場跡」の看板。

方向の標識。

山頂には、電波塔があります。

岩殿山城の山頂の電波塔。

「空湟」。

本丸の東側から侵入する敵にそなえている通路らしい。生活通路としても利用されていたらしい。

岩殿山城、山頂の北側の藪。

電柱もあります。

堀切のような場所。

岩殿山城の斜面。

ここ、小石ばかりで足が滑ります。

気を付けて下さい。

頼りない手すり。

下の方まで降りてくるとスロープも一部ある。一部だけだから何に使うのか・・・と思う。

岩殿山城の歴史

小山田氏の時代

岩殿山城の築城は、1530年代ぐらいと推定されています。
16世紀ごろには、小山田氏が支配しています。
永正4年(1507年)、武田信虎の叔父信恵・弟の縄美が、小山田弥太郎を誘い叛乱を起こします。
しかし、信恵・縄美、小山田弥太郎を破り、これらは戦死。
その後、小山田氏は武田信虎と和睦。

小山田信有は、小山田信有(法名涼苑)の養嗣子とする説があります。
小山田信有の母は、大井信達の娘が有力説になっています。
小山田信有は、武田信虎・晴信に仕え、信濃国・上野国侵攻を支えます。
子の小山田信有(桃隠)は、小山田信茂の兄とされています。

小山田信茂は、武田信玄・勝頼に仕えました。
今川氏の駿河国侵攻、後北条氏への侵攻、伊豆国の興国寺城、韮山城攻め、信玄の西上作戦に参加しています。
長篠の戦いにも参戦するも、織田徳川の連合軍に敗北。
織田徳川連合軍が甲斐国・信濃国・駿河国に侵攻してきますが、武田軍は敗走を続けます。
武田勝頼は新府城を放棄し、小山田氏の郡内領への撤退を開始。
小山田信茂は、郡内領への撤退中に離反し、天目山の戦いで主の武田勝頼が自刃してしまいます。
しかし、甲斐国・信濃国を奪った織田軍は武田勝頼を裏切った小山田信茂を処刑。

岩殿山城までのアクセス

電車で行く場合

JR中央本線「大月駅」から徒歩で15分
岩殿山城の踏破は、1時間~2時間程度を目途にすると良いです。

車で行く場合

岩殿山城の入口近くに10台程度の小さな駐車場があります。

住所 山梨県大月市賑岡町
駐車台数 10台程度
営業時間 なし
料金 無料

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