相模岡崎城(神奈川県伊勢原市岡崎)

岡崎城 東海地方の城

相模岡崎城のデータ

城郭別名
曲輪構成
縄張形態丘城(平山城)
標高(比高)34.6m / 20m
築城主岡崎義実?
築城開始鎌倉時代初期
廃城年後北条氏の支配になった後から?
改修者
城主・城代岡崎義実、三浦義同(三浦同寸)
遺構曲輪、堀切、空堀、虎口、土塁
文化財区分

岡崎城の遺構

無量寺の場所が岡崎城の主郭になっていた模様。

無量寺の中にある看板

無量寺

岡崎城から北西方向へ。

土塁の下

住宅街の中にある曲輪と土塁

岡崎義実の墓は、岡崎城から見て北西に位置する。住宅街を抜けるとあります。

岡崎義実の墓は岡崎城の西側に存在する。

岡崎城の東側の曲輪

岡崎城の東側の曲輪は、畑を抜けていくと存在する。

岡崎城の西側

岡崎城の西側に小さな社がある。

小さな社の近くだが、牧場に出てきてしまう。

山ノ後。
無量寺の裏手。
近所の方曰く「ここに館があった」とのこと。

東側は堀切がよく残っている。

完全な堀切として残っている。

深さは現在でも2m以上はある。

東側にも曲輪があったようです。

岡崎城の南東部分。

岡崎城の南東部分(火の見)は、このあたり。

相模岡崎城の歴史

岡崎氏の時代

相模岡崎城の築城は、岡崎義実が鎌倉初期に築城していると思われています。
岡崎義実は、衣笠城の戦いで討死する三浦義明の弟です。
鎌倉御家人として活躍するも、大庭景義と共に出家します。

三浦氏の時代

伊勢盛時(北条早雲)の小田原城侵攻の際には、三浦義同(三浦同寸)が岡崎城を捨てて新井城に籠ります。
三浦同香(三浦義同の弟)が住吉城に籠りますが、同香が戦死。
三浦義同は、新井城で最後の戦いに向かいます。

岡崎城は、東西南北に広く曲輪、堀切、空堀、虎口、土塁といった遺構が残っています。
まず、無量寺の岡崎城主郭部分。
次いで、無量寺の裏手の曲輪。
次いで、住宅街を抜けて岡崎義実の墓のある西側。
戻ってきて、南東部分の火の手の曲輪と堀切。
このあたりが、メインの見どころです。

相模岡崎城までのアクセス

電車で行く場合

小田急電鉄「伊勢原駅」からバス。岡崎城から近いバス停は3か所存在します。「城所入口(バス)」または「岡崎城址入口(バス)」または「岡崎福祉館前(バス)」で降車して徒歩10分~15分程度。
岡崎城の踏破は、2時間~3時間程度を目途にすると良いです。

車で行く場合

相模岡崎城(無量寺)に10台程度の駐車場があります。
長時間の駐車にならないようにはしましょう。

住所 神奈川県伊勢原市岡崎
駐車台数 10台程度
営業時間
料金 無料

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