山中城(静岡県三島市山中新田)

山中城 東海地方の城

山中城のデータ

城郭別名
曲輪構成
縄張形態山城
標高(比高)195m / 100m
築城主北条氏康
築城開始1558年~1570年(永禄年間)
廃城年1590年(天正18年)
改修者北条氏政
城主・城代北条氏政
遺構曲輪、空堀、土塁
文化財区分国の史跡

山中城の遺構

山中城は、箱根旧街道で大きく2つに分かれています。岱崎出丸と本丸・二の丸・北の丸・西の丸に分かれています。岱崎出丸の方から行きました。

岱崎出丸の方も整備されていますが、箱根の高い場所にあるので、山の天気は急に変わります。

芝生が綺麗です。

岱崎出丸は、広いです。いくつか段で分かれていますが、1つの場所でも50m以上あります。

だだっ広いです。

細い道を進んでいきます。

芝生や木々の整備が行き届いています。

岱崎出丸の内部は、広い勾配があります。大軍を収容するには十分です。

今は林で城外を見渡せませんが、明るい時間帯ならば、勾配のきつさも分かりやすい場所があります。

真ん中の畝の幅は、人がやっと歩ける程度。

畝以外の場所にトラップがあるとすれば、畝から落ちないように足元の畝を意識して歩行する必要があったかも知れません。

もちろん、城を守る将兵たちは畝を歩行してくる攻め方を狙い撃ち。

「出丸御馬場堀」の案内板。

土塁

綺麗な花も植えられています。

武者溜り跡です。

すり鉢曲輪の内側

すり鉢曲輪の外側を上から撮影

すり鉢曲輪の城外側。

すり鉢曲輪の城外側の畝は4~5メートル間隔ぐらいに設置されています。

畝のある堀を突破しても高さ9メートルの急斜面が待ち受けています。

軽装備で登るにもツライ角度であることは、お分かりいただけるかと思います。

「山中城跡」とデカデカと。

「御馬場北堀」の案内板

国道1号線側。腰の高さより少し高い程度の土塁がありました。

休憩スペース

「本丸・二の丸・西の丸」方面の入口

とにかく「山中城跡」の看板が多い。

「国指定史跡山中城跡」の案内板

「三の丸堀」の案内板

矢竹になりそうな竹

田尻の池

田尻の池、箱池のある場所は、とても静かな場所です。

箱井戸

箱井戸

「元西櫓下の堀」の案内板

「西の丸畝掘」の案内板

「西櫓堀」の案内板

「史跡山中城址」の石塔

岱崎出丸から国道1号線(旧箱根街道)方向を眺める

「西の丸堀」の案内板

「北の丸堀」の案内板

「北の丸跡」の案内板

架橋

「架け橋」の案内板

山中城本丸跡

「天守櫓跡」の案内板

天守台。5メートル四方程度しかない場所でした。

「本丸跡」の案内板

山中城の本丸跡

「国指定史跡山中城跡案内図」と大書され、鳥瞰図が描かれています。

「国指定史跡山中城跡」の案内板

「矢立の杉」の案内板

兵糧庫(再現)。弾薬庫跡は、この写真の右側方向。

兵糧庫付近のこの辺りが、弾薬庫のあった場所らしい。

「兵糧庫跡の柱穴と大きな穴」の案内板

「駒形諏訪神社の大カシ」の案内板

「天然記念物 駒形諏訪神社 大カシ」の石塔

駒形諏訪神社の社

駒形諏訪神社の前にある「史跡山中城跡」案内板

駒形諏訪神社の鳥居

山中城の歴史

後北条氏の時代

山中城の築城は、北条氏康が永禄年間(1558年~1570年)に築城します。
東海道を通り箱根の山を越える敵を阻止、進軍遅延させるために、築城されています。
現在も国道1号沿いに存在しており、交通の要衝を守る重要拠点ということが理解しやすいです。
北条氏政の代になると豊臣秀吉と対立し、山中城を本格的に大規模改修。

1590年(天正18年)、山中城の改修が完了する前に、豊臣軍が山中城に迫ります。
豊臣軍は、豊臣秀次を大将に6万8000の兵が山中城を攻撃。
北条軍は、北条氏勝を城将に松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊が3000の兵で守ります。
間宮康俊が一柳直末を銃撃し討ち取る戦果を挙げるものの、半日で落城。
落城寸前に、北条氏勝を脱出させます。
この後、北条氏勝は玉縄城で籠城するも、無血開城。豊臣軍の案内役になります。
山中城は、落城後に廃城。

山中城までのアクセス

電車で行く場合

JR東海道本線「三島駅」から東海自動車バス [N65]三島駅-F橋-山中で30分乗車し、山中城跡で降車。
山中城の踏破は、2時間~3時間程度を目途にすると良いです。

車で行く場合

山中城の入口近くに10台程度の小さな駐車場があります。

住所 静岡県三島市山中新田
駐車台数 20台程度
営業時間 9:00~17:00
料金 無料

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